東京地方裁判所 昭和44年(ワ)12615号 判決
一 アクリルアミドと硫安を水性媒体中で分離することが本件特許発明当時不可能と考えられていたかどうかは別として、請求原因第一、二、三項は当事者間に争いがない。
二 被告が昭和三七年一二月以降九州の黒崎工場において、硫安分離温度の点を除き、別紙目録記載の方法によりアクリルアミドを製造し、これを販売していることは当事者間に争いがないところ、原告は、右被告方法における硫安分離温度が二〇度以上であると主張するのに対し、被告は、これを否定し、一七度ないし一八度である旨主張し争うので、以下この点について検討すると、被告方法における硫安分離温度が実測により原告主張のように二〇度以上あつたことを認めるに足りる証拠はない。かえつて、起訴前の証拠保全および起訴後の証拠保全(検証)の各結果によれば、原告が被告においてアクリルアミドを製造しているという被告の九州黒崎工場のなかにある被告が当該アクリルアミドの製造に供しているという装置における中和槽内の温度を示すという中和温度計は、起訴前の証拠保全当時である昭和四四年七月二二日午后二時三〇分において約三五(約一七・五度)起訴後の証拠保全当時である昭和四九年八月六日において三五(一七・五度)をそれぞれ示し、また、右起訴前の証拠保全当日の午前六時三〇分から一時間ごとに測定された右中和槽内の温度は、これを記録する被告の「AAM日誌」によれば、一七度ないし一七・五度と記帳されていることが認められる。ところで、起訴後の証拠保全(検証、鑑定)の結果によれば、被告がアクリルアミドの製造に供しているという右装置は、被告のいうとおりの装置であり、そのうちの内部温度を測定したとする中和槽の内においては、起訴後の証拠保全当時中和反応により生成した硫安が結晶として溶媒中に析出しつつあり、また、当時におけるこのスラリーの標準温度計による実測温度は、一七・三度であつたことが認められるから、起訴後の証拠保全当時読みとられた前記中和温度計の表示は、当時の被告方法における硫安分離温度を示すものであり、しかも、その表示は正確な温度を示していたものと認めて差し支えなく、また、起訴前の証拠保全当時読みとられた中和温度計の表示についても、特に異別に解しなければならないような事情も見当らないから、起訴後の証拠保全の場合のものと同様に解して妨げない。そうとすれば、被告方法における硫安分離温度は、常時被告主張のようにせいぜい一七度ないし一八度であると認めることができる。
原告は、被告方法における右分離温度が二〇度未満になり得ないとして種々議論するが、右分離温度の点は、理論をもつて云々すべき問題ではなく、実測すれば解決する問題であることは被告も指摘するとおりであつて、実測の結果により前認定のとおり認定できる以上、この点に関する原告の議論は顧みる必要がないものである。
三 被告方法が前記当事者間に争いのない本件特許発明の構成要件のうち、硫安析出工程におけるアクリルアミド硫酸塩の使用量が水一〇〇gに対し少くとも七〇gであること、硫安分離工程における結晶状硫安の分離温度が少くとも二〇度であることの二点を除いては、これを充足する関係にあることは当事者間に争いがない。
ところで、前項において認定したところによれば、被告方法における硫安分離温度は、約一七・五度であるから、本件特許発明における硫安分離温度が、その特許請求の範囲に記載する文言どうり、少くとも二〇度であることをもつて本件特許発明の要件とするならば、被告方法は、この点において、本件特許発明の要件を備えていないことが明らかである。
四 ところが、原告は、被告方法における硫安分離温度が被告主張のように一七度ないし一八度であるとしても、被告方法は、硫安の分離に関しては、本件特許発明のうちの重要な点を利用するものであつて、依然本件特許権を侵害するものであることを免れ得ない旨主張する。
なるほど、具体的に実施されているある方法がある特許発明の技術的範囲に属するか否かを判定するための方法論として、当該発明を構成する技術的要件、つまり、特許請求の範囲の記載、を便宜語を追つて数要件に分割したうえ、これと、これに対応する当該具体的方法の特徴とを遂一対比し、両者が過不足なく、かつ完全に符号するか否かにより属否を定めようとする講学上構成要件説と呼ばれている立場に対し,このような構成要件を問題とせず、当該特許発明の本質的な技術的思想を探求して本質的な要件を抽出するか、あるいは、前記のような構成要件を一応問題としつつも、重要な要件とそうでないものとを区別したうえ後者を捨て、これらとの対比をして属否を定めようとする要件説とも呼ばれる立場があるが、原告において、被告方法における硫安分離温度が二〇度以上である旨主張したうえ、被告方法が本件特許発明の技術的範囲に属し、本件特許権の侵害になる旨主張したときの論法は、前者の考え方によつたものであるのに対し、いま、被告方法が本件特許発明の重要な点を利用していることにより本件特許権の侵害になる旨主張するときの論法は、後者の範疇に入る考え方によるものということができる。ところで、特許発明の技術的範囲は特許請求の範囲の記載に基づいて定めなければならないところ、特許請求の範囲には、発明の構成に欠くことができない事項のみを記載しなければならないことになつているから、ある方法が、ある特許発明の技術的範囲に属するか否かの判定に当り、特許請求の範囲の記載によつて表現されている当該特許発明の構成要件それ自体とは別個に、その本質的な要件というものを抽出し、あるいは、構成要件につき軽重の差を設けて重要でないとするものを捨てたうえ、これらとの対比を行つたのみで、ある方法が当該特許発明の技術的範囲に属する旨判断することは許されないことであり、当該特許発明の構成要件とされているもののすべてと対比し、右要件を充足するときはじめてある方法が当該特許発明の技術的範囲に属する旨判断することができるのである。これを本件でいま問題となつている硫安分離温度の点に関していうならば、結局、本件特許発明における特許請求の範囲の記載にいわゆる硫安の分離温度二〇度以上に基づけば、被告方法における硫安の分離温度一七度ないし一八度がこれに含まれるか否かの問題に帰着するものである。
さて、冒頭に掲記した当事者間に争いのない事実に成立に争いのない甲第一号証の1(本件特許公報)の記載を合わせると、本件特許発明は、水に対するアクリルアミド及び硫安の各溶解度は、いずれも温度の上昇とともに増加するにもかかわらず、アクリルアミド及び硫安の両者が水中に共存する場合の相互飽和溶解度は、温度の上昇に供い、アクリルアミドのそれは増加するものの、硫安のそれは減少し、しかも、この傾向は、温度が二〇度付近を超えると顕著になることに着目し、二〇度以上の温度で水中に溶解共存するアクリルアミドと硫安のうち、後者を析出分離することにより、前者を採取する方法であると認めることができるが、他方、前記甲第一号証の1の記載に本件口頭弁論の全趣旨を参酌すれば、一般に溶媒中にそれぞれ溶解度の異る二種類の化合物が溶解共存しているとき、両者の溶解度の差を利用して一方の化合物を結晶として析出分離すること及びこの場合、一方の溶解度がより低く、他方の溶解度がより高く、両者の間に差があればあるほど、分離が容易、かつ、能率的に行われ得ることは理論としてもつとも知られていたことが認められ、これによれば、本件特許発明は、水中に溶解共存するアクリルアミドと硫安の相互飽和溶解度が少くとも二〇度を超えたときにはじめてアクリルアミドが高く、硫安が低くあらわれ、しかも、両者間の相互飽和溶解度の差異は二〇度を超えて高くなるに従い極めて顕著なものとなるとの新発見に基づき、これに依拠して成立するに至つたものであり、このような温度条件を一切無視した相互飽和溶解度だけの関係に依拠して成立したものではないということができる。
したがつて、本件特許発明における構成要件としての硫安分離温度は、原告のいうように重要でない要件があるとは決していい難く、本件特許発明は、これを二〇度以上とすることによりはじめて水中においてアクリルアミド硫酸塩をアンモニアで中和しても、生成する硫安を結晶として能率よく析出分離することができ、ひいては、アクリルアミドを工業的に採取することができることを開示したものにほかならない。そして、前記甲第一号証の1の記載によれば、なるほど、原告のいうように、本件特許発明のような方法により結晶硫安を析出分離してアクリルアミドを採取する際、硫安分離温度が必ず二〇度以上なければ、実施が不可能というわけのものではないことがうかがわれるが、さりとて、硫安分離温度を二〇度未満として実施した場合には、アクリルアミド及び硫安の相互飽和溶解度の関係からみて、実施が極めて困難であり、かつ、能率も極めて良くなく、前認定のようなつとに知られていた理論に基づき実施を行つた場合に比し工業上格別有利である点を見出し難いことが認められる。
そうすると、本件特許発明は、その特許請求の範囲に記載のとおり少くとも二〇度の温度で硫安を分離することをもつて要件とするものと解しなければならず、ひいては、右硫安の分離温度が約一七・五度である被告方法は、本件特許発明における右要件を備えていないものであるから、本件特許発明の爾余の構成要件を具備するか否かについて判断を加えるまでもなく、本件特許発明の技術的範囲に属しないものである。
四 以上の次第で、被告方法が本件特許発明の技術的範囲に属することを前提としてする原告の本件損害賠償請求は、爾余の点について判断を加えるまでもなく理由がないから、これを棄却する。
一 被告の方法は、次のとおりである。
「水一〇〇gに対しアクリルアミド約八一gが溶解しており結晶状硫酸アンモニウムが析出している中和槽内のスラリー中に、水一〇〇gに対し約三八gのアクリルアミドを溶解し更に硫酸アンモニウムおよびトリブロピオン酸アミドアミン等を溶解している循環母液、該循環母液中の水一〇〇gに対し約三九gのアクリルアミド硫酸塩および該アクリルアミド硫酸塩中の硫酸分と当量のアンモニアを連続的に供給して、中和槽内の水素イオン濃度を五・五乃至七・五に保持しながら、アクリルアミド硫酸塩をアンモニアで中和し、中和槽から水蒸気、および水一〇〇gに対しアクリルアミド約八一gが溶解しており結晶状硫酸アンモニウムが析出しているスラリーを連続的に抜出し、抜出したスラリーを摂氏二〇度以上で硫酸アンモニウム結晶と母液とに分離し、しかる後この母液を処理してトリブロピオン酸アミドアミンを特に生成せしめて母液に溶解させ、次いで母液を冷却してアクリルアミド結晶を析出させ、析出したアクリルアミド結晶を母液から分離し、更にこの母液に中和工程中失われた水蒸気に相当する水を加えて循環母液として用い右の工程を繰返し、アクリルアミドを採取する方法」
二 右方法を分析すると、次のとおりとなる。
(1)「水一〇〇gに対しアクリルアミド約八一gが溶解しており結晶状硫酸アンモニウムが析出している中和槽内のスラリー中に、
(2)(a)水一〇〇gに対し約三八gのアクリルアミドを溶解し更に硫酸アンモニウム及びトリブロピオン酸アミドアミン等を溶解している循環母液、
(b)該循環母液中の水一〇〇gに対し約三九gのアクリルアミド硫酸塩、および
(c)該アクリルアミド硫酸塩中の硫酸分と当量のアンモニアを連続的に供給して、
(3)中和槽内の水素イオン濃度を五・五乃至七・五に保持しながら、
(4)アクリルアミド硫酸塩をアンモニアで中和し、
(5)中和槽から
(a)水蒸気、および
(b)水一〇〇gに対しアクリルアミド約八一gが溶解しており結晶状硫酸アンモニウムが析出しているスラリーを連続的に抜出し、
(6)抜出したスラリーを摂氏二〇度以上で硫酸アンモニウム結晶と母液から分離し、
(7)しかる後この母液を処理してトリブロピオン酸アミドアミンを特に生成せしめて母液に溶解させ、
(8)次いで母液を冷却してアクリルアミド結晶を析出させ、析出したアクリルアミド結晶を母液から分離し、
(9)更にこの母液に中和工程中失われた水蒸気に相当する水を加えて循環母液として用い右の工程を繰返し、アクリルアミドを採取する方法」